岐阜の達人 石山人工房

石山人

岐阜の達人

石山人さんの作品は、国内産の安山岩をくりぬいて成形し、高温焼成するという世界でも類を見ない独自の技法で造られます。
石で造られた器というと、私たちはすぐに石器時代に造られた石皿のような重く無骨なものをイメージしますが、石山人さんの作品は高度な技術で石が薄く削られ、軽くて独特の風合いを醸し出しています。
又、高温焼成で染みだす石の含有成分が表面を覆い、まるで釉薬をかけたような光沢のある作品に仕上がっています。高温では割れやすい石をこの絶妙な温度調整で焼締める石山人さんの技術は、薬師寺管主安田暎胤氏及び、人間国宝で陶芸家の鈴木蔵氏の推薦により、2004年、厚生労働大臣表彰「現代の名工」に選ばれています。




石に向って50年~企業経営から名工へ~

石山人こと、所一郎氏は1938年岐阜県揖斐郡生まれ。高校を卒業後に家業の建材業を継ぎ、同時に建築石材の会社を立ち上げました。
石山人さんは新しい建築石材を求めて、国内はもとより世界各地を飛び回る一方、建築石美術の先駆者である安藤博之氏に師事し、石材の
研究や焼成技術を学びます。
そうして石山人さんが立ち上げた建材会社は順調に売り上げを伸ばし、最大100名を超える従業員を有するまでに成長します。

ところが、56歳の時に大病を患い、仕事先のポルトガルで倒れたことで人生の転機を迎えます。日本へ緊急搬送され、医師より余命3カ月の宣告を受けた石山人さんは、思い悩んだ末に自分で築き上げた会社の清算を決意。
幸い、大手術により奇跡的に一命を取り留めますが、一度清算した企業経営の道からは離れ、今度は石の焼き物造りをする道を選ばれます。第二の人生は、芸術や文化的な面から石と向き合うために。


何故石の焼き物なのかそれは、悠久のロマン・・・

石山人さんが会社経営で目指したのは、世界の中のオンリーワン企業になることでした。
世界各地を訪れる中で出会うすばらしい建築石材はとても希少で、安定した供給を得られないまま、やがて枯渇してしまいます。
すばらしい石材との出会いは、常に、それを育んだ自然への畏敬の念だったと話されます。
ただ、生来が負けず嫌いだった石山人さんは、そんな大自然の産物に技術で勝ちたいと思うようになります。自然に勝つ技術を持つことこそがすなわちオンリーワン企業への道だと。
「自然に勝つ為には、まずその石を出来た状態に戻すこと。そして出来た時以上の高温をかけて、再生すること。岐阜は日本の石材のメッカで、それを実現する為の高炉が存在したことは幸運だったよ。」
その技術で造られた石材は、日本建築学会や世界の博覧会でもすばらしい評価を得たそうです。
そして、その新しい石材を造り出す巨大な高炉の中の片隅で、石の器を造り始めたと言います。
石山人さんにとってその器はまさに、大自然と対峙し勝利した技術の証であり、石が生成されたはるか悠久に想いをはせるロマンなのだと。


作品の収蔵先は延暦寺からローマ法王まで

石山人さんは大病から奇跡的に生還されたことで、比叡山延暦寺、伊勢皇大神宮、熱田神宮、東大寺、法隆寺、永平寺、大徳寺、薬師寺などを始め80以上の寺社に、命に対する感謝の気持ちを込めて作品を献納されています。
その御縁もあってか、1996年、日本宗教代表者会議からローマ法王へ献上する世界平和の祈りを込めた聖杯の制作依頼を受けます。
そして翌1997年、同会議訪欧使節団(団長は比叡山延暦寺 小林隆彰大僧正)とともにバチカンを訪れた石山人さんは、ローマ法王に聖杯を献上し、法王御使用の聖具登録がなされました。
その後、インド・ブッダガヤ大塔釈迦本尊へも献納し、2009年には桃山学院大学記念祝賀会において、英国カンタベリー ウィリアムス大司教へ聖杯の贈呈が行われています。


更なる挑戦~新たな表現を求めて~

2010年、京都の老舗茶道具店で開催した個展の成功で、「『手捻りの土と釉と炎で表現された伝統的な抹茶茶碗を、茶祖先人からの約束事を守りながら如何にして石の素材で表現するか』というテーマへの取組には、ある種の達成感が得られたんだよ。今では各流派の御茶の御家元にもご愛用頂いているんで、培ってきた技術や表現に対して一応の評価は頂けたんじゃないかとね。」と石山人さん。
今後の目標については、「今までは、阿蘇山の安山岩を使って作品を造ってきたが、今は富士山系の石で造っています。産地が変われば、焼成の温度も器の表面も変わる。今の素材にあった、シンプルで優雅な新しい表現の器も造っていきたい。」と話す石山人さんは、益々意欲的に作品造りをされています。